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怪奇事件縁側日記「地下牢の天使」15
お久しぶりです。社会人になって、自動車免許を取りました。
そろそろこっちも完結したいところ。
では、どうぞ。

怪奇事件縁側日記

夏・2 『地下牢の天使』

翌朝、涼香たちが教室に着くと、ドアの前でさめざめと衣装係のクラスメイトが泣いていた。ドアは閉められて、むやみに開けられないように男子生徒が塞いでいる。
「え、どうしたの」
「あ、あれ……」
クラスメイトに促されて、ドアを塞いでいた男子生徒が神妙な顔つきのまま無言でドアを開けると、どこか湿っぽい、黴臭い臭いが漂ってくる。例えるならば、用水路の臭い。水草と苔と、とるに足らないゴミが絡み合い、まるで小学校の頃、教室で飼っていた金魚やらザリガニやらの水槽から立ち上っていたような……水っぽい生臭さだ。
けれどもこの教室に水槽はない。いや、引っ掻き回して探せばあるかもしれないが、金魚やザリガニなんて飼っていない。
(じゃあ、この臭いの元は?)
教室に意識を戻すと、まず机や椅子が散乱しているのが見て取れる。教科書を置きっぱなしにしていた生徒はさぞかし真っ青になっただろう。
そして、衣装。無造作に床に打ち捨てられ、ぐしゃぐしゃになっている。まるで豪華なボロ雑巾だ。
中々に衝撃的な光景だったけれども、その光景の中心……教卓の前に座り込んでいるそのひとを見て、涼香は思わず息をのんだ。
「なに……これ……」
唯奈が掠れた声でそれだけを絞り出す。答えようとして、涼香の喉がひゅっと鳴った。
答えられない。
答えられるわけがない。
(目の前に広がる光景は、何?)
そのひとは、生きているのか、死んでいるのかすらわからない。
ただ、生臭い水の臭いを纏わりつかせて力なく座り込んでいるだけだ。
「剛野……君……?」
優の微かな声にこたえるように、そのひとの髪から、ぴちゃん、と水滴が落ちた。

剛野淳史は、全身がずぶ濡れのまま、教卓にもたれるように座っていた。

どうして。
どうしてこんなことに。
涼香の頭の中を、そんな意味もない言葉だけがぐるぐるとまわってゆく。
いつだったか、潮の匂いを色濃く染み込ませて震える少女を抱きしめた時と同じだ。あの時も気の利いた言葉なんか出てこなかった。ただ、どうして、という言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていただけだ。
そこまで考えて、ふと自分の二の腕を握り締めた手が震えているのに気が付いた。
「……救急車、呼びましょう」
絞り出した声はみっともなく震えている。
「それと、保健室。先生に知らせてくる」
唯奈がパタパタと来た道を駆けていった。



結論から言うと、剛野淳史は生きていた。睡眠薬のようなもので眠らされ、朝早くに教室に寝かされていただけ、というのが医者の見解であった。
が、どうして生臭い水をかぶって寝ていたかという問いに対して、淳史はわからないと答えた。
「講堂に入って……どこか歩いてたらいきなり誰かに襲われて。気がついたら病院だった」
「そんな……なんで」
声を震わせたのは、入院先で同室になった朝倉舞子だった。
「なんで……淳史まで」
「ファントムの怒りにでも触れたかな……」
クリスティーヌにひどいことを言ったから。
白い天井に、その言葉が空しく響いた。



水にぬれたそのひとを見たとき、彼女は心臓が凍るような思いがした。
(なんで?どうしてこの臭いがするの?)
あの人がいるはずの場所の匂い。あの人の匂いはしないけれど、彼女はその匂いが好きだった。
あの人がいる場所だったから。
でも、その匂いはいま、教卓の前で項垂れる人に染みついている。
それだけで途轍もなく汚らわしい臭いに成り果てる気がする。
(あぁ……ここに、いたくない)
早く。
はやく、あの場所に行きたい。
その焦燥感にも似た思いは、少女の足を教室から遠のかせる。
今ならだれも分からない。
居なくなっても、気付かない。
(あの人のところに、行きたい)
あの場所ならいい。
誰にはばかることなく、あの人と一緒にいられる。
教卓の前の人が生きていようと死んでいようと、気にする余裕はない。
汚らわしい臭いを早く忘れて、あの人の匂いだけを感じたい。
それなのに、彼女の足は止められた。
「どうしたの」
彼の声が聞こえたから。
「今日は、練習じゃないの?」
そう尋ねてくる彼に、彼女は嘘を吐いた。
「用事が出来たから」
「そう」
怯えてるみたいだったから、そう言った彼を騙すことに心が痛むかと思った。
「教室のほう、騒がしいけど大丈夫?」
「大丈夫」
だから、もう離して。
その言葉を口にするのは、流石に心が痛んだ。
もしかしたら。
本当にもしかしたら。
彼にも惹かれていたのかもしれない。
あのプリマドンナ・クリスティーヌ・ダーエのように。
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