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怪奇事件縁側日記「地下牢の天使」11
こんにちは。結局どうもありませんでしたね。よかったよかった。
さて、世間ではクリスマスですが、夏のお話です。

怪奇事件縁側日記 夏・2
「地下牢の天使」

「……」
明日華はパソコンのモニタを見つめたまま、微動だにしなかった。できなかった。ブルームーンの懇願なんて、見たことがない。初めてだ。
(……どうして)
声を出そうと唇を動かしても、ひゅっと息の音が漏れただけで、唇だけが空しく言葉を形作る。
「お嬢さん?」
自分の後ろに控えている大神の声すら遠く聞こえる。
(どうして……自分のことでもないのに)
ブルームーンはどうしてここまで知りたがるのだろう。只の野次馬根性にしては深入りしたがりすぎる。どうして、ともう一度心の中で繰り返した時、不意に肩を掴まれた。
「お嬢さん!」
「……!」
びくりと肩を震わせて振り向けば、そこには大神の心配そうな顔があった。
「……大神」
「どうしたんですか、そんなにぼうっとして」
やっぱり菊花学園の事件が、と本当に心配そうな大神から視線を外して明日華は俯く。
「……なんでもないわ」
「でも!」
「なんでもないったら」
「お嬢さん!」
ぐ、と両肩を掴まれて彼のほうを向かされる。何の含みも同情もない、純粋に心配そうな、真剣な双眸が明日華を射ぬく。
不意に、懐かしさを感じた。
(この眼、見たことがある)
ずっと前に、しかしついこの間見たような眼差し。忘れられない、忘れられるわけもない眼差し。知らず知らず胸の奥をぎゅっと掴まれるような、体を内側から焦がすような眼差し。ずっと見ていたい誘惑にかられながらも明日華は視線を逸らした。
「なんでもないわ。……離しなさい、大神」
「しかし!」
「見られたらどうなるか分かって言ってるの!?」
思わず背けた眼を彼に戻して怒鳴り返した彼女を、大神はまっすぐに見つめた。恐れも、迷いもない真摯な瞳だった。
「わかりません。……でも、自分は……俺は、お嬢さんに危険な目にあってほしくない。それだけです」
どくんと心臓が、嫌な音を立てた気がした。

「詳しいこと、知りたい……ねぇ」
パソコンのモニタを見ていた彼女がふっくらとした桜色の唇に指先を当てる。いつ見ても見惚れるほど美しいその仕草に、いつだって自分はどきりと胸を高鳴らせる。振り向いて自分のそんな様を見た彼女はくすりと笑って自分の頬に手のひらを滑らせた。
「どうする?」
「え……」
「こんなに必死に聞いてくれてるのに、答えてあげないのは悪いかなって」
でも、と視線を逸らしても彼女の眼差しは追いかけてくる。
「怖いのね?……あなたをあんな目に遭わせる人たちはもういないのに」
「うん……」
薄桃色のネグリジェに包まれた柔らかで温かな体が自分のそれを包む。あの頃から優しい温度だった彼女の背に腕を回して、声を絞り出した。
「危ない目に遭ってる人がいる……それは分かってるし、あんな目に遭ってる人がいるのだとは思う……けど」
不意にさらりと髪の毛を梳かれて、肩がびくりと跳ねた。
「ねぇ、私は……あなたの傷を癒せているかしら」
不安そうな声が耳を打つ。そんな声を聞いたのはずいぶんと久しぶりだ。
「もちろんだよ!傍にいて、愛してくれるだけで……ずっと、癒されてる。怖かったこと、忘れられる」
不安な声をさせたくなくてその身体をぎゅっと抱きしめる。
「それなら、嬉しいわ……あなたが怯えているようだったから」
「うん……怯えてる。あんな目に遭っている人がまだいること……」
今でも時折夢に見る。冷たく湿った暗い場所の記憶。自分は彼女に手を引かれてあの日、永遠にあの場所に囚われる運命から逃げ出した。
暗い中に響く音楽だけが慰めで、時折訪れる使用人だけが知っている人間だった。
彼女が現れて、光をくれた。
彼女だけが、本物の愛をくれた。
「……この人たちはあなたをもうあんな目に遭わせない。たとえ遭わせようとしたって、私があなたを守るわ。……だから、あなたも……」
微かに潤んだ瞳が、遠い日の記憶を蘇らせる。
『逃げましょう』
あの雨の日、彼女は泣きながらそう言った。
『あなたがこんな目にしか遭わないのなら、もう逃げ出したほうがいい。……大丈夫、私があなたを守るから。あなたに、ずっと笑っていてほしいから』
雨に打たれながら、自分の頬を温かいものが濡らしていた。握り締められた手から、じんわりと温もりが伝わってきた。
約束通り愛する人は今も昔も、孤独だった自分を優しい温もりで包んでくれる。
だから自分はその愛に報いたかった。
貰ってばかりではなくて、返したかった。
「怖いけれど……会ってみよう。君が言うのなら……私の、クリスティーヌ」
「ありがとう……愛しているわ、ずっと。……私の、愛しいファントム」

日付が変わるころ、某掲示板にひっそりと書き込みがあった。
『一番信用できるひよどりへ。

明日、渋谷駅前の喫茶店で会いましょう。
私の知っていること、そこで話すわ。
あなたはそれをブルームーンに伝えればいい。
窓際の席で『オペラ座の怪人』を読みながら待っているわ。

クリスティー』
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