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創作ブログ(旧『花待館』)です。 なお、当館内に掲載しております作品等については著作権を放棄しておりません。

約束の花を抱く泉 前編
大学のサークルに提出した原稿のサルベージです。「誘絵巻」にも近日サルベージ予定。
ちょっと書くことが多くて詰め込みすぎた感じがありますが、これはこれで満足なので再録することにしました。
淡いラブストーリーです。
では、どうぞ。

約束の花を抱く泉

約束の花を抱く泉
                   
 「好きな人が、できたの」
少女の笑顔に、少年は拗ねてみせる。俺だって君のことが好きなのに。そんな言葉に少女はますます笑う。
「どうして笑うの」
「だって、全然気づいてないんだもの」
少女は少年の頬に口づけを落とし、はにかんだ。
「私が好きなのは、あなたよ」

森の静寂はいつも深い。いつも暗く静かなそのヴェールを破る者がいた。
「はぁ、はぁっ……くそ、まだ追って……!」
静寂のヴェールを引き裂いて、少年は走る。時折後ろを伺って、敵が追いついてくるのに怯えながら走る。
追ってくるのは獣。森の中で気配も隠さずに走っているのだから、飢えた獣に襲われるのは当然かもしれない。けれど少年には気配を隠す術など無く、血のにおいも多分にしているものだから仕方ないと言えば仕方ないかもしれない。加えて疲労も大分たまっているため、木の根に足を取られて転んでしまう。背後には獣。振り下ろされた爪を右手に構えた剣で防ぐ。左腕は傷を負い、うまく機能する保証はない。
「俺はこんなところでは死にたくないんだ!」
親類を頼って遠くの村に行くためにこの森を歩いているのだ、せっかく生かされた命をむざむざと散らせてはいけない。だから、逃げる。しかしそれも長くは続かない。美しい花の咲く泉のあたりで追いつかれてしまう。再び振り下ろされた爪を防ごうとして、獣の胸を傷つけてしまったのかもしれない。それは咆吼を轟かせてがむしゃらに爪を振りかざし、少年の小柄な体躯は簡単に傷を負って吹き飛んだ。追ってくるかと思われた獣は何故か帰って行き、それを見届けた少年は息を吐き、ゆっくりと倒れ込んだ。

『大丈夫?……こんなに傷ついて』
少年を呼ぶ懐かしい声。目を閉じれば浮かんでくる少女の名を呼ぶ。
『ア……アンジェ……』
『すぐに手当てするわ。もう……どこでこんな傷を作ってきたの?』
呆れたように彼の額に白い手のひらが載せられる。ひんやりとして気持ちがいい。だが、彼は思う。
『手当てされても……アンジェと一緒にいられないなんて……』
その言葉に、アンジェがくす、と小さく笑った。
『もう、何言っているの?私はあなたとずっと一緒にいるわ……メイス』
「アンジェ、……?」
何か柔らかいものを掴む感触に目が覚める。
「きゃっ」
小さな少女の悲鳴。掴んでいたのは少女の手だったようだ。慌てて掴んでいた手を離し、謝る。
「あ、ご、ごめん!変なことしちゃって……」
「う、ううん、ちょっと、びっくりしちゃっただけだから……それより、目、醒めたのね。傷の具合はどう?」
聞かれて改めて身体を見てみると、傷を負った箇所に包帯が巻いてあった。
「え……これ、君が?」
少女は恥ずかしそうに頷く。
「人間の手当なんてしたことがなかったから、ちゃんと出来ているか分からないけれど、きっとあのままだったら死んでしまうと思って……」
顔を僅かに赤く染めてはにかむ少女につられてメイスも恥ずかしくなる。
「あ、いや、ありがとう……えっと」
「リーザよ。この泉に住んでいる妖精なの」
リーザ、と名乗った妖精の少女を改めて見て、メイスは息をのんだ。
――アンジェ!?
リーザがアンジェにうり二つだったからである。もしもリーザがアンジェだと名乗ったら、彼はアンジェが来てくれたと信じただろう。
「どうしたの?」
彼女が顔をのぞき込む。
「……いや、知り合いに、似ているから」
そう、と妖精は手に持っていたリュートを抱えて朗らかに笑う。淡い水色と桃色の布が擦れてさらさらと耳に心地よい音を立てる。
――アンジェも朗らかに笑う少女だった。……そうだ、彼女がアンジェであるはずがないんだ。アンジェは……。
「どうしたの?」
「……いや、何でもない。俺はメイス。訳あってこの森を越えたところの村に行く途中なんだ」
「まあ……それなら、傷が癒えるまでここにいたらどうかしら?ほら、近くに洞窟もあるし」
しばらくよろしくね、と彼女が差し出した右手を、彼も握った。

それから、リーザは献身的にメイスを看病した。包帯を変え、薬草を煎じ、食事を与える。そういう時には彼女は肌身離さず持っているリュートを側に置いて、両の手で彼を包んでくれるのだった。
「なあ、そのリュート、弾けるのか?」
ある晩、そのいつも持っているリュートが気になってそう問うてみると、彼女はこくんと頷いた。
「歌を歌う時の伴奏なんだけど……聞いてみる?」
ああ、と頷くと、リーザはリュートを抱え、十五本の弦を鳴らす。
暖かい音色だった。柔らかい歌声が耳を癒す。
そして、懐かしい、歌。
彼女が歌ったのは、メイスの故郷でよく歌われていた子守歌だった。
――そう言えば、アンジェもよく歌ってくれたっけ……。
アンジェはリュートこそ弾かなかったけれど、多分弾けたらこんな感じなのだろう。歌が終わったのにも気づかないまま、メイスは喪った少女の想い出に心を馳せていた。
二度と帰れない日々。
明るい笑いが絶えなかった村。
優しい両親。
心から愛した少女。
もうそれらは、メイスの手のひらからすっかりこぼれ落ちてしまって、永遠に戻っては来ない。
「メイス?どうしたの?」
心配そうなリーザの言葉に我に返る。
「いや、俺も知っている子守歌だったから」
「そう……ごめんなさい、この歌、嫌いだったかしら?」
「いや、嫌いじゃないよ」
「なら、何故泣いているの?」
知らないうちに泣いていたようだ。目の前の少女が優しく涙を拭う。
「俺の村を思い出して……リーザにそっくりな女の子がいたんだ」
「私に……そっくりな?」
「ああ……俺が将来を誓った幼なじみの女の子……アンジェっていうんだ。優しくて、明るくて……でもアンジェは……死んでしまったんだ」
「死んでしまったって……」
「小さいけれど平和で、幸せだった村に……戦の軍勢が攻め込んできたんだ……」

 それは十数日前のことだった。深夜、突然馬の蹄の音がしたと思ったら、平和なはずの村に悲鳴が飛び交ったのだ。両親に逃げるように促してから、小銭とナイフを仕舞った巾着をひっつかみ、剣を腰に差してメイスは家を飛び出した。未来永劫愛すると誓った少女は無事だろうか?広場は火と悲鳴の海だ。その中に1人、民家の陰に隠れるようにして立っている少女を見つける。アンジェだ。彼女もメイスを見つけると、小走りに駆け寄ってくる。
「メイス!無事だったのね!」
「ああ、俺は何とか……母さん達ももうすぐ逃げてくるはずだ!」
少女はメイスに縋り付く。腰に下げられた剣に目をやると、煤で汚れた顔をほんの少しだけ悲しそうにゆがめて、頷いた。
「村のはずれの礼拝堂、あそこなら安全なはず……」
「行こう、アンジェ!」
アンジェの手を引いて、少年は走る、走る、走る。この村を屠ったケモノに気づかれないように、その刃に捕らわれないように、必死で走る。幸い気づかれることはなく礼拝堂の前に着き、建物内に入ると鍵をかけて閉じこもった。一番奥の女神像の後ろに隠れ、腰に下げていた剣を立てるとアンジェを固く抱きしめた。
「メイス、私たち……どうなるのかしら……」
アンジェの目からは涙は流れない。村が消えていく哀しみよりも自分たちの命の危機への不安が勝っているからだろう。
「分からない……でも……」
もうメイスの二親もアンジェの二親も生きて夜明けを迎えることは出来ないだろう。それを言うことは出来なかった。メイスはこの残酷な予想を自分の身よりも大切な少女に言うことは出来ない。しかし少女にも予想が付いていたのか、あるいは別の理由からか、彼女は彼の背中に腕を回すときつく抱きしめ返した。
「アンジェ……」
「炎が収まったら、逃げましょう。女神像の後ろにいるんですもの、正面の隠し扉から逃げられるわ」
そう言って彼女はメイスの腕を離れ、女神像のはめている指輪を回転させた。女神像の背を見ている彼の背後で扉が現れる鈍い音がする。ノブに手をかけると細くドアを開ける。
ああ、しかしそれこそが間違いだったのかもしれない。
メイスが振り向いた時には遅かった。兵士達が礼拝堂を開け放ったのだ。
「子どもが2人、ここに逃げ込んだはずだ!探し出して男の方は殺せ!」
「アンジェ!」
野太い声で怒鳴る兵士に、アンジェが見つかるのは早かっただろう。メイスの呼ぶ声に背後を見た彼女は、一体どんな顔をしていたのだろうか。兵士の顔が醜くゆがんだような気がする。
その背後には、炎。すべてを燃やし尽くし奪い去った、滅びの炎。
「え……」
「女の方がいたぞ!」
「アンジェ!」
像の前に飛び出して、ずかずかと神に祈る神聖な場所に踏み込んできた不埒者を斬る。切っ先の当たり所が悪かったのだろうが、それでも兵士は倒れた。仲間の死に激高した兵士達がメイスの足を払い、台座によじ登ったままのアンジェの身体を掴み上げる。
「メイス!」
「アンジェ!アンジェを放せ!」
「お嬢ちゃんは俺らと一緒に来るんだよ。おい、男の方は殺せ!」
「逃げて、メイス!」
助けを求めるように、メイスを突き放すように少女が手を伸ばす。その手は殺されるために捕らわれたメイスの手には僅かに届かない。
だから彼は、彼女を助けるためにがむしゃらに暴れて兵士の腕をふりほどいた。
だから彼女は自分を掴み上げる兵士の腕に噛みついて逃れた。
「こ、の……女ぁ!」
それは一瞬のこと。ざしゅ、と音がしたと思ったら、アンジェの身体がメイスの胸に倒れ込んできた。背中から血を流す彼女を抱いて、メイスはあの扉へ向かう。
「2人で仲良くあの世へ行きな!」
煙のにおい。いつの間にか火がつけられたようだ。油でも撒いたのか、礼拝堂内に火が回るのが速い。兵士からはひょっとしたら逃げ切れるかもしれないが、迫り来る炎からは逃げ切れない。
「アンジェ……ごめん、ここで一緒に死んでしまうかも……」
「だめ!」
アンジェがその身体ではつらいだろうに、大声を出す。驚いて彼女を見るメイスに、彼女は脂汗を浮かべながら微笑んだ。
「駄目よ……あなたは、逃げて」
「アンジェ……」
炎が迫る。あの隠し扉にまで、後僅か、その僅かの距離が届かない!
「逃げてっ、メイス!」
とん、とはじき出されるように彼は礼拝堂の外へと転げ出た。はっとして自分の腕の中を見れば、抱きしめて一緒に逃げようとした少女は、いない。
彼を押し出したのは、アンジェだった。
「アンジェ……!」
「ありがとう……でも、私、無理みたいだから……」
かすかな声が礼拝堂から聞こえる。
「なんで、どうして……」
精一杯の声で呼びかけると、彼女がかすかに微笑んだ気がした。
「あなただけは生きて……大好きよ、メイス……」
その瞬間、礼拝堂は真っ赤な炎に包まれた。
「アンジェーっ!」
愛しい少女を失った少年の悲痛な叫びと、燃えさかる炎の音、どちらが強かったのだろうか?


「それから、俺は走った。それで逃げている時に親類に頼ることを思いついて……」
「……」
一晩のうちに燃えてしまったのだろうか。故郷の村は跡形もなくなってしまったのだろうか。メイスにとって、アンジェを失った村など何の意味もない。だが、それでも気になっていたのだ。あの日、異国の兵士達に攻め込まれて一晩で灰と化した村のことが、メイスが剣を持って立てこもっていた礼拝堂が、そして彼だけを逃がしたアンジェのことが、脳裏にこびりついて離れない。
『大好きよ、メイス』
彼女の最後の言葉が何度でもよみがえる。
「あのとき、礼拝堂の中に入っていれば、今、こんなに苦しむこともなかったのかもしれない……」
「アンジェさんのこと、後悔しているの?」
リーザの問いに、彼は分からない、と答えた。
「でも、アンジェを守りきれなかった……俺があのとき、女神像の台座に上っていれば、アンジェを逃がすことも出来たのに」
メイスを逃がすためだけに、最後の力を振り絞って彼を突き飛ばした少女。あの日、2人で薬草取りから帰ってきた時までは確かに2人の間には幸せな未来が開けていたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
「でも、あなたが礼拝堂に再び入っていたら、アンジェさんは悲しんだと思うわ」
リーザのしなやかな腕が、メイスを包み込む。暖かな胸に抱かれて、彼はただ涙を流す。
「でも、そもそも礼拝堂なんて行かなければ……」
「……そうね。でもね、きっと、アンジェさんにとってはあなたが今、生きていることが一番嬉しいんじゃないかしら?あなたは彼女のことをずっと覚えていて、そして必死になって生きようとしていてくれる。私が彼女だったら、とっても嬉しいわ」
「リーザ……」
「だから、今は静かにお泣きなさい。今の私には分からないけれど、何かを喪うことは多分、とても悲しいことだと思うの。その痛みを思い出して泣くことは、喪うものに対しての手向けの花だと思うわ」
「アンジェ……アンジェ……っ」
「大好きよ……メイス……」
歌うように紡がれる言葉。暖かなその言葉が、メイスの心に疼く傷への何よりの癒しだった。

 その後の日々はいつもと変わるということはなく、手当をされ、傷が癒えてくるとリーザに教わりながら木の実や茸を採取し、薬草の煎じ方を教わった。ただ、彼女はもうリュートを弾かなかった。きっと彼女のことだから、あの夜、リュートを弾いたことでメイスが泣いてしまったことを悔いているのだろう。リーザは優しいから、いつだってメイスのことを考えてくれる。その優しさはどこかアンジェに似たところはあっても全く違う。アンジェが彼の手を取って導いてくれる優しさだとしたら、リーザのそれは側に寄り添って、冷えた心を温めてくれるようなものだ。だが、その二つの異なる優しさに包まれながら、メイスは惜しみなく注がれる寄り添う愛に心地よさを感じていた。出来ることならばこのままリーザの側にいて、彼女がもし寂しいと感じた時、その心の穴を埋めてやりたい。
「……待てよ……これじゃ、俺がリーザのこと、好きみたいじゃないか……」
――ずっと、アンジェだけを愛するって誓ったのに。
その証拠に、アンジェに感じた胸の中が暖まるような幸福感や胸の鼓動が高鳴る音は無いのだ。だから彼はリーザに対するその気持ちを、親しみだと思った。
――リーザもずっと1人で、俺も今は1人。付いていてやりたいのは友達として当然じゃないか。だから、これはアンジェに感じた気持ちじゃない。恋じゃない。

「傷、治ったわね」
いつものようにリーザが包帯を取る。嬉しそうに笑う。つられてメイスも笑い返す。包帯を取った位置から彼女が動かずに笑いあったため、いつもよりも近いところにその笑顔がある。
「ああ、すっかり良くなった。ありがとう、リーザ」
「どういたしまして。私のことを頼りにしてくれる人間なんて久しぶりだから、お役に立てて私の方こそ嬉しかったわ」
妖精の少女が僅かに頬を染めて、はにかむように笑う。こんなに回復したのを喜んでくれるのだ、きっと彼女は祝福してくれる。
「それでさ、今度の満月の晩に俺、出立するよ」
リーザが微笑みを凍り付かせて息をのむ。それから、ゆっくりと、本当にゆっくりと笑って見せた。
「そ、そう……そう、よね……傷が癒えるまで、って約束だったものね……」
けれどその微笑みはどこか力が無く、気が抜けてしまったようにぎこちないものだった。それは1人ではない日々が終わることへの虚脱感からだろうか。
「本当に、ありがとう」
次の満月までは後、三日のはずだ。それまでには荷物を整えて置かなければならない。これから独りぼっちになってしまうリーザはかわいそうだとは思うけれど、メイスだってずっと側にいられるわけではない。
――このまま側にいたら、リーザをアンジェの代わりにしてしまいそうだから。

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